創業当初、当社の事業内容は、中小企業の不動産会社のDXコンサルティングがメインでした。私が、不動産会社でIT推進の新規事業の経験があり、且つ不動産テック企業での経営陣としての経験、不動産DX・ビッグデータサービスの企画・PM・ローンチの実績があり、自然と不動産会社から、DXコンサルタントとしてのお役目を頂くことが出来、幸運にも殆のクライアントに対し表面的な売上や利益、生産性向上などは叩き出すことができました。

クライアント企業のデジタル化を実現し、生産性が上がった先にクライアントに提供できた売上と利益。従業員の給料も増えて訪れた幸せは長く続きませんでした。
同業同規模の企業と比較したときの高い売上や給与も日が経てば当たり前になり「もっと高い売上と利益を望む経営者」「もっと高い給与や待遇を望む従業員」の奪い合う構図からは軋轢が生まれ、離職していく社員たちを目の当たりにしました。

上記の事象に苦悩し考え抜き、トライアンドエラーの結果たどり着いた1つの結論が、DXを成功させるためには、携わる「人」のマインドの変革(Transformation)が必須であるということでした。
そこからHR分野のコンサルティングも取り入れ、経営者と従業員、チーム長とメンバーの関係性の良化にも寄与できる工夫を行い、関わる人の感情を大切にしながらプロジェクトを進めていくことで、度を超えた欲求を抑制し、奪い合うのではなく与え合う組織や企業づくりに貢献させて頂くことに成功しました。

人の感情に寄り添ったマインドの変革(X Transformation)に強いDXコンサルティングを積み重ねている内に、コンサルティングのメインが「クライアントの構想を策定し、前に進め実現すること」になり、デジタルやITの分野だけではなく、大手企業とメガバンクとのアライアンス支援や、1兆円企業の教育関連の新規事業策定等、枠を超えたご依頼を頂けるようになりました。

ASX株式会社 代表取締役 蓼沼康之
1981年生まれ 茨城県出身
座右の銘:求めない 足るを知る 被害者にも加害者にもならない在り方で生きる

代表者経歴

人事採用業務傍ら、社内SEとして社内のITインフラを構築。コーポレートサイト、リクルートサイト、内定者専用サイト、オーナー専用サイトを企画から制作・運用まで一貫して行い、SEO対策、ウェブマーケティング、リファラルマーケティング設計を実施し、当時は難しかった反響で投資用ワンルームマンションを販売することに成功。
ITツールを駆使した戦略的な採用の母集団形成や、歩留まりの改善、自社採用サイトから反響を得る仕組みは現在のHRコンサルの礎となっている。

29歳のときに転職した貿易商社で、ニトリのサプライ品販売の専属ベンダー契約を勝ち取り、ニトリと様々なサプライ品の商品開発を行う。
2012年に飛衛門ゴルフブランドの立ち上げ事業責任者になり、営業戦略、マーケティング戦略の設計から行い2年目で黒字化、3年目には全国展開や大手量販店の導入に成功。当時はまだ珍しかったインフルエンサーマーケティングやSNSをマーケティングを駆使し、無名ブランドながらシェアの獲得に成功。開発した商品は今でも人気商品として量販店の棚に並ぶ。

2015年に登記簿から物上げ用のデータを作成したり、富裕層や潜在的な顧客を発見できるデータのコンサルティングの不動産テック会社に転職
営業部長として営業戦略の立案、経営陣として事業計画や経営計画の策定、商品企画した不動産テック兼営業DXサービスの不動産所有者リストナビをローンチ。経営、営業、商品企画、PM、内部統制など多岐にわたる業務に従事。
コロナ禍にはテレワーク制度をすぐに構築し、ルールを守りつつ感情にも寄り添える生産性の高いテレワーク体制を実現

2社で営業部長及び経営陣を歴任し、ASX株式会社設立後は、不動産業界に強いDXコンサルタントとして、不動産会社のデジタル化を実現。Dより人の感情やマインドのX(Transformation=変革)の重要性に気づき、構想策定・実行計画支援のコンサルタントとしてのお役目が増え、2023年以降は上場企業や1兆円企業、業界最大手企業のコンサルティングに従事。

代表者パーソナリティ

昔の私はノウハウ・メソッドをフル活用し、効率化・生産性を追求し、売上至上主義・能力主義で結果に恐ろしく厳しい人間でした。

当時の私は、結果のためなら(法令を遵守した上で)何でもやる。メリットのない人間とは付き合わない・損得勘定のみで人間関係や物事を判断していました。

いわゆる勝ち負けと結果こそ世界のすべてであると考え、会社全体の売上を短期間で純増で3倍にしたり、新規事業を3年で会社の柱になるまでに育てたり、数字という結果を出すことで一喜一憂していました。

自分は勝ち続けないと価値が無いと思っている一方、いつか負けるかもしれないという恐れから、心の奥底では葛藤していました。

働きすぎも重なり、ある日訪れたバーンアウト(燃え尽き症候群)自社の商品を売るという情熱が消え、「御社のプロジェクトを実現するには、弊社よりもライバル会社社のサービスの方が合っています」という話を営業先で半ばヤケクソにしてしまいました。
するとお客様から出た言葉は、『確かにライバル会社のサービスのほうがウチには良さそうですね。では契約します。御社と。』
この体験により、燃え尽き症候群により消えた火は再び着火し、以前よりも大きな炎となりました。

自社のサービスを売り込むのではなく、顧客の役に立つ最善の提案を枠を超えて行う。この営業スタイルにシフトチェンジしてからは、信じられないことに全ての商談でご契約を頂くことができました。

ちょうどこの頃、現在も師と仰ぐ方に出会い、更にこの根幹にあった考え方が加速し、目先のお金や契約を取りに行くことよりも、お客様に対して慈愛を尽くす。ひとつひとつの案件に金額や企業規模で差別・区別することなく全力を尽くすことの重要性を学び実践しております。

その結果当社は創業以来、営業ゼロ、広告ゼロにも関わらずお客様から絶えることなくご依頼が頂けているあり得ないことの連続=有ることが難しい状態=有り難し を実現できております。

蓼沼康之の思考をまとめたブログ